May 13, 2012
by Junko
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南相馬の有機農家と東電

南相馬市原町。有機農家の安川昭雄さんとその息子さんの宏さん。昭雄さんは80歳を超える超ベテランの有機米農家。牛を肥料のために育て、その牛糞を肥料として田んぼに使い、育てる米からでるわらは牛のエサとなり、水田の水は井戸から吸い上げる。完全な循環型農家の安川さんの田んぼは、福島第一原発から約30キロ地点。3.11後の原発事故で作付け制限を受けても、昨年も今年も稲を有機で植える。この地区では安川さんのみが田んぼを耕しているかのようにすべての田畑が荒れている。原発事故後、多くの行政からの稲作に関する通達に背きながら「自分の食べる分は自分で育てる」という哲学で今年も田を耕す。この土地のベクレルはかなり高いが、昨年波乱万丈の中育て上げた安川さんのコメはなんと20ベクレル前後であった。多くの学者や研究者がこぞって安川さんから学ぶため、毎日のように押しかけてくる。放射能が降っても変わらない農業を今まで通りしてきた安川昭雄さん。 その安川さんの息子さんの宏さんは、高校から東電で働くための教育を受け、東電社員として福島第一原発で働いてきた。3.11直後、崩壊寸前の原子力発電所に入り、冷却させるための過酷な作業をし、およそ400ミリシーベルトを超える放射線を浴びたため、原子力発電所では働けないことになっている。現在は志願しての南相馬における除染業務に着く。昭雄さんのコメと有機農業を愛し、有機的なものを体に入れることで健康でいられることを信じる。 東電社員というと冷たい目を当てられることがあるかもしれない。またこの作付け禁止の南相馬市でコメを作り続ける父の安川昭雄さんを避難する方も多いかもしれない。しかし、発電所立地案が出た当時は、産業も工業もあまりなかったこの田舎町南相馬市で、市民が生きるために受け入れなければならなかった原子力発電所と今の南相馬のみなさんたちの状況との関係は、複雑である。原子力にこれまで頼った来た私たちが一番大きな責任があると感じざる負えない、と考えさせられる安川さん家族だ。